【信じ続ける方法】難しいけど信じることがすべて

哲学

信じるということって、本当に難しいなと思います。

「あなたを信じている」と言葉って何とでも言えますが、

実際にその言葉と信念(心)が本当にリンクしているのかなど普段あまり深く考えません。

特にそれが生死、生活に関わらないものであれば尚更です。

わたしは今、かなり生活に関わるところで、信じる心を試されています。

パートナーを信じて、一緒に未来を構築したいと思っています。

でも信じているはずなのに、すぐに疑問、不安が浮かんでくる。

特に意識しているわけでもないのに、こうなったらまずいな、なんでそうならないんだろう、など、ネガティブな考えが勝手に浮かんでくるのです。

最悪に備えて準備をするのは悪いことではない。

こうなったらこうしよう、みたいな感じ。

しかし、「こうなったらどうしよう」という不安は、自分が思い描く未来を潜在意識では信じていないということ。

もとい、潜在意識に「信じる」ことを伝えきれていないということ。

信じているのに、信じたいのにこういう不安は躊躇なく心に浮上してきます。

まるで自分の制御が効かない。

誰かが自分の信じる心・信じたい心を揺さぶってくる感じ。

こういう局面にくると、自分が本当に弱い人間だなと感じます。

しかし自分がどんなに弱かろうが、世界には全く関係のないこと。

結局自分で何とかしないといけない問題なのです。

心の問題なのであれば、内的に解決するしかない。

外に何かを求めても無駄なのです。

解決法1 弱さが出た瞬間それを認識すること

自分が信じていることに対する不安が不意に脳裏に浮かぶ瞬間、「私は不安を抱いている」と認識することです。

それに何か意味があるのでしょうか?

あります。

認識することで、不安のスパイラルを止めることができます。

認識することで、不安になっている状態の自分を、客観的に見つめることができます。

「ああ、私はこれを怖がっているんだな」とまるで他人を見てような気持ちになります。

そうすると、不思議と落ち着いてきます。

不安は放っておくと次々に生まれ、頭の中はネガティブ思考だらけ。

そうなったら精神が参ってしまいます。

だから、自分の力で不安の量産を食い止めるのです。

解決法2 心を制御する言葉を持っておく

なんのこと?と思うかもしれませんが、

自分が安心できる、または集中できる言葉を作っておくということ。

たとえば

「大丈夫」
「私はできる」
「順調だ」

などなんでも良いです。

一種の暗示で、この言葉を言えば心が安定するように仕掛けるのです。

好きな詩やお経でもいいです。

南無阿弥陀仏でも、般若心経でも。

騙されたと思って、自分の心が少しほわっとする言葉を持ってみてください。

イメージとしては、

不安に駆られ混乱中の表面の自分を、言葉でもって内側からなだめる感じです。

「大丈夫だよー」という感じで。

子供のころ母親にかけてもらった心地よい言葉を、自分自身にかけてあげるのです。

実際信じるって難しい でも信じることがすべて

人生が大変な時ほど信じることが必要なのに、それがすごく困難だと感じます。

本当にそれは仕方がない。

だって本当に難しいから!

そしてそのような状況にない他人を見ると羨ましくなります。

こんなつらい思いしたこともないんだろうな、と思ったり。

でも、そう感じるほど困難な状況にある時こそ、心は鍛錬されます。

こうなりたい、こうなるんだという未来を頭に描いた後、あとは淡々とすべきことをするだけ。

楽しいだけの人生もいいですが、そういう境遇だけでは得られない心の深さ、強さそして経験が自分にはあるのだと思って、現状を生き抜かねばならない。

結局、信じること、信じ続けられることが心の安定にも、そして結果にもつながります。

そう言い切れるのは何度も経験をしているから。

疑いの余地もなく全力で信じられる時は、間違いなく思い描いた通りになります。

良いことも悪いことも、全て思った通りになる。

だから気をつけてほしいです。

信じることは、自分が望むことだけにしましょう。

湧き上がる不安を一生懸命信じていてはダメ。それがそのまま結果になるからね。

望むことは全て常に信じていた、という領域まで心を上げていけたらいいなと思います。

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